2009年 05月 08日

北疆ジュンガリア旅行 -無いものを見に行った旅-

◆北疆ジュンガリア旅行から帰ってきて、その印象をまとめておこうと思っているうちに、もう半年以上が経ってしまった。



最後の遊牧帝国といわれるジュンガル、その興亡の地に立ってみたいと思って、ジュンガル盆地の縁を一巡りし、イリにも行った。しかし、予想されないことではなかったが、ジュンガル帝国の痕跡を見ることも聞くこともできなかった。無いものを見に行った旅…といったところ。






旅行は15日間のパッケージツアー。参加者は13名で、それに日本人添乗員とウルムチからの現地スルーガイド(漢人)とバスの運転手(撒拉族)の総勢16名。

行程は、9月4日午後に羽田を発って-上海(泊)-ウルムチ-トルファン(泊)-ハミ(泊)-バリコン(泊)-ジムサル(泊)-アルタイ(2泊)-カトンユイ(泊)-カナス湖-カトンユイ(泊)-ウルホ(泊)-精河(泊)-イーニン(泊)-昭蘇-イーニン(泊)-ウルムチ-上海(泊)-そして18日午後に羽田帰着。


こんな旅で印象に残ったことは…


ジュンガル

現地ガイドからは、ジュンガル族あるいはオイラト族について何も話されなかった。まだ若い漢人女性ガイドだったので、やむを得ないとも思ったが、アルタイやイーニンの博物館にも関係する展示はないようだった。ウルムチの博物館なら何かあったのかもしれないが、今回の旅行では安全面で不安があるということで、ウルムチの観光は中止。ウルムチでは飛行機の乗換えと食事だけになってしまった。


広大な町と道路と農地

今度の旅行で一番印象に残ったのは、「広大さ」。といってもジュンガル盆地や砂漠のことではない。盆地の縁を辿っただけのせいか、あるいは他の砂漠を見慣れたためか、これらの広さはそれ程実感できなかった。


広さ、大きさが印象に残ったのは、町と道路と農地。

県庁所在地だけでなくそれ以下の都市でもかなりの規模。それも町の中心部を大通りが貫通する中国風の街づくりになっていた。

また道路も整備されており、主要な都市の中は片側2~3車線、その外側に街路樹、さらに自転車路(?)、緑地、そして広い歩道。イーニン等では朝暗いうちから作業員が出て大きな竹箒で掃除をしていた。主要国道では高速道路化も進んでおり、今度の旅行のバス行程全3,700km中、工事中のところを除けば、ほとんど舗装完備だった。これも西部大開発戦略の成果か。

飛行機から見下ろす赤茶けた土漠の中に現れる、くっきりと直線で区切られた広大な緑の畑、これも印象的!




中国の統治

オリンピックの直後で、ウルムチの観光が中止になるなど、治安・安全面が気になっていたのだが、何事も起こらず、途中不安を覚えるようなこともなかった。

軍隊はおろか、制服姿の警官を見かけることもほとんどなかったように思う。

中国の統治が行き渡っているという感じ。


しかし旅行シーズンの終り間近ということもあるのだろうが、外国人観光客にはほとんど行き会わない。特に日本人は皆無。今年のカナス湖の観光客は、中国人を含めて例年の半分以下だったとか。


新疆生産建設兵団

あちこちで「137団場」のような道路標識を見かけた。新疆生産建設兵団の農場や工場団地があるのだろう。兵団は漢族の新疆進出の拠点として、いろいろ議論の的になってきたようだが、今では巨大なコングロマリットといったところか。

ウルホで泊まったホテルも兵団の系列のようだった。隣接して兵団の地方本部のような建物があり、このホテルはかつて「招待所」などと呼ばれていたものかもしれない。




民族英雄 林則徐

イーニンで予定外の林則徐記念館に寄った。林則徐の名前はアヘン戦争に絡んで高校の世界史にも出てきたように思うが、何故イーニンに? アヘン戦争後に、清朝は英国を慮ってか林則徐を新疆に形だけの流罪にし、彼は無位無官となったが当地の開発にも大いなる貢献をしたのだという。新疆にいたのはわずか3年たらず。


この記念館は、新疆開発というよりは、アヘン戦争の民族英雄を顕彰するのがメインのようだった。林則徐記念館は中国各地に合計6ヵ所あるとか。


撒拉族

15日間、3,700kmの全行程を一人でバスを運転してくれたドライバー氏。最初の日に「彼はムスリムです」とガイドから紹介があった。顔は漢族と見分けが付かないので、「回族か」と聞いてみると、「サラ族」だという。サラ族??


王柯著「多民族国家 中国」によれば、「撒拉(サラール)族 人口:10.45万人 その88%が青海省居住」とあり、他の資料には「西海省、甘粛省、新疆に住む 自称サラール 言語はウイグル語に非常に近いが、文字はなく、漢語を用いる 農業を主とする」とある。


この旅行の期間がちょうどラマダンと重なっていた。


◆さてその次は…

今度の旅行で残念だったのは、昭蘇まで行きながら、バインブルク(ユルドゥズ)草原に行けなかったこと。いつかバインブルクの大自然を堪能するだけでなく、ハズルンドの跡を少しでも追ってみたい。


摂政テイン喇嘛(ラマ) セン・チェン -20世紀トルグートの悲劇-


そして、ジュンガルを滅ぼし中国の新疆支配を確立した清朝発祥の地、満洲。しかし近代以降の満洲と日本との関わりを思うと、気が重くなるようでもあり…


女真・満洲・満族


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by satotak | 2009-05-08 13:13 | 東トルキスタン


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