テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

歴史を失ったモンゴル

「刀水 No.7」(刀水書房 2003.8)より:
(岡田英弘・宮脇淳子対談「モンゴルとは何か?」 )

モンゴル人が「モンゴルの通史」を初めて読む!
 ○ …「その国の歴史」というとき、日本とモンゴル国ではずいぶん違うらしいと知りまして、…きっかけは宮脇先生の『モンゴルの歴史』を先頃刊行した折に、「帯に『初めてのモンゴル通史!』と入れてよいですか?」と先生にお訊ねしたことです。私たち日本に生まれた人間にとっては、通史というか、先史時代から今までを通して歴史を見るというのは、…当たり前のようなことだったんです。…
 宮脇 …モンゴル史を教える、…授業をしてきました。…毎年、必ず一人か二人、モンゴル人も聴きに来てくれます。『モンゴルの歴史』が刊行されたら、授業中に頒ける約束をしていたんです。…内モンゴルからの留学生が一人、…「待ってた」って言うんですね。で、ニコニコして持って帰りました。だから今ごろ一所懸命読んでると思いますよ。モンゴルの人は日本に来ないと、本当の通史とか自分たちの歴史を読めないのですよ。

モンゴル国では「悪い歴史」とされてきたモンゴル史
 岡田 それはモンゴル史というのは長い間、共産党の統治の下では悪いものとされてたんです。…かつてモンゴルが現代の兄弟国であるロシア以下の国を片っ端から征服したという歴史があるからです。それは800年経っても駄目なんです。(笑)…
 そうですね、要するに負けたからでしょう。モンゴル帝国時代にモンゴル軍が、ロシアおよびハンガリーやポーランドに攻め込んだ。その時にヨーロッパ側は圧倒的に負けたわけです。それで、アジア人に負けたというのはやっぱり屈辱的なことなわけですよ。その時はそういうふうに考えなかったかもしれなくても、20世紀になって歴史を振り返った時に、あのモンゴル軍さえいなければ自分たちは西ヨーロッパのようにもっと発展していたのにと、ロシアはそう言ってるんです。ロシアは「モンゴルさえこなければ、フランスやドイツ程度には自分たちも大国になっていたはずだ」と言っています。…

20世紀に粛清されたブリヤート人
 宮脇 モンゴル人民共和国のブリヤート人は、基本的に大人の男はみんな処刑されたと聞いています。…
1990年、モンゴルで民主化が始まって情報公開が行われていろんな資料が出てきたら、ブリヤート人だけでなく、知識人、字の読める人はほとんど全滅したみたいです。
 つまりモンゴルをモスクワの言うとおりにさせたかったんです。モンゴル人は決してモスクワの言うとおりにはなりたくない。自分たち独自でやっていこうという努力を各地でしたわけです。20世紀の民族主義の精神です。ちょっとでも考えのある人がリーダーになったら、言うことを聞かなくなるわけですよね。ですからモスクワの言うとおりになる人たちだけを残して、トップクラスの知識階級を、何かかんかと難癖をつけてだいたい粛清した、ということがわかってきたんです。それで唯一、ツェデンバルという人が…字が読めた。彼だけが最後に残った人物で、あとで首相になったんです。実に極端な話です。本当に知識人の男はほとんどいなくなったんです。何十万という数だったそうです。これが北の方のモンゴル人民共和国のお話です。…

チンギス・ハーンも「中国人」(!)
 岡田 中国では元朝があったことは認めるんです。しかし元朝は1368年に滅びてしまったと言ってるんですよ。本当は元朝皇帝はあと2年生きているんです、今の内モンゴルで。そればかりじゃない、その後裔もずっと生きて、みんな独立していたんです。しかし、それは無視する。中国史の考え方では、明は元から独立したので、モンゴルは明の時代に入った時になくなるわけです。実際は、明はモンゴルの帝国の中の中国人の住んでいるごく一部分が独立しただけのことなんですよ。ところが中国史では、明代のモンゴル人社会は蛮族なんだということになる。…
 ○ そういう歴史を結局内モンゴルのモンゴルの人たちは学ばされているんですか。
 宮脇 はい。要するにモンゴル人は中国人である。中国王朝を立てた蛮族の一つだった。けれども元朝が滅びた後はモンゴル人はもう完全に中国人の支配下にずっといたんだ、と教えられています。…ですから、モンゴルは、…一度は偉くなって、首領が中国王朝の皇帝になったこともあったけれど、元朝がなくなった後はもう二度と皇帝はモンゴルからは出なくて、いつも中国人に支配されていた少数民族(!)である、これが中国史の解釈です。…

歴史を学べなかったモンゴル
 宮脇 モンゴル国は20世紀の初めまでは、中国ではないにしても北京にいた満洲人(清朝皇帝)の家来だったわけです。だけれどもソ連の赤軍が出てきて、独立が最終的に可能になったわけで、その間の、どっちつかずの独立したくても支援が得られなかった時代の歴史は、現代のモンゴルでもほとんど誰も研究していないし、封印されてるんです。…
 非常に優秀なモンゴルの歴史学者が三、四人、20世紀にはいたんです。その人たちが苦労してなんとかやっていこうとしていたんですが、その時代というのはまだ社会主義の時代で、1924年にソ連と友好的になった後のことはともかく、それ以前のことに関しては、そもそもモスクワの監視が厳しくて、自由な研究はできませんでした。…

結局、モスクワのおかげで、友だちであるロシア人のおかげで独立ができるまでは、モンゴル人は満洲人の虐待の下に中国につなぎとめられていた、ということになるわけです。満洲人と手を組んだチンギス・ハーンの子孫の封建王侯が人民を虐待して、人民はもう塗炭の苦しみを味わう260年であった。…で、それ以前のチンギス・ハーンの時代を封建時代というんですね。モンゴルの古い中世の封建時代には、貴族階級と奴隷階級と二つあって、大多数の人民は奴隷階級であった。チンギス・ハーンとその一族は奴隷の上に乗っかって豪奢な生活をした悪い貴族階級であったと。(笑)
 ○ でもそれは満洲やモンゴルだけじゃなくて、世界中の歴史がだいたいそういうふうに説明してたんじゃありませんか?…

 岡田 …いろいろな歴史の記述があれば、我々のようにその時代の歴史を振り返ろうという者はそれに出会えますけどね。何の歴史的記述もないということは、事実を何一つ知らない者にとっては、歴史というのは一切ふれることができないものなんです。だから「私たちモンゴル人の歴史は1924年に始まっている、それ以前は何もない」ということになる。…

80年間、自由にものが言えなかったモンゴル
 宮脇 モンゴル国は結局あまりにも空白が長すぎて、自由がなく研究もできないままに80年が過ぎて、3世代経ってしまったんですよ。そうすると、口伝えに聞いた覚えもないわけです。伝統が一度完全に断絶しているので、手探りなんですよ。2世代だったら「小ちゃい時におじいちゃんから聞いたからそれ覚えてる」って言えるけれども、80年経っちゃうと聞いた覚えもないんです。
だからこの間モンゴルに行ったとき、通訳の日本語の上手なお嬢さんに何を言っても、彼女は「ああ、そんなことだったんですね」とか、「なんか言葉だけチラッと聞いたことあるけど何のことだか全然わからなかった」と言うんです。チンギス・ハーンは名前しか知らなくて、彼に子供があったかどうかも知らないんです。本当に何も知らないんですよ。…
もうとにかく現時点ではチンギス・ハーンだけが歴史上の人で、それ以外に何があったかなんて、基礎知識がゼロなんで。…

 それでね、「チンギス・ハーンの時代に書いたものってほとんどなくて、チンギス・ハーンの孫の世代にやっと、チンギス・ハーンがどんな人だったかを書いた資料がでてくるのよ」と私たちが言うと、「じゃその孫の時代の本って誰が書いてるんですか」と訊いてくる。「ペルシャ人と中国人が書いた」と言うと、「チンギス・ハーンのことをすごく悪く書いてるんじゃないですか」と言うの。私たちが「あの時代はモンゴル人が主人で、ペルシャ人も中国人も家来だったから、自分たちの主人のことだからすごくよく書いてるの」と答えると、「えーっ!」って感動する。…

 ○ 一つの国を80年かけて、そういうふうにしちゃうっていうのはどういうことですかね。
 宮脇 だから知識人を全員殺した。字の読める人はほとんど生き残れなかったんです。実は、これモンゴル人民共和国だけじゃなくて、カザフスタンも、キルギズスタンも、ウズベキスタンも同じことが起こったんです。当時ソ連は、地方でリーダーになりそうな人は全員粛清させたんですよ。それで、どこが社会主義や共産主義がいいって言えるのでしょう。…

政治と歴史
 宮脇 科学アカデミーにいる私の友だちが、歴史の教科書を書くと言っています。ただ問題は、モンゴル国の国史を書かなきゃいけないということですよ。
 岡田 世界中に広がったモンゴル帝国の歴史でなくてね。
 宮脇 つまりロシアと中国にいるモンゴル人のことをどう処理するかということで躓いてるんですよ。国史だから大モンゴル主義になってはいけないわけです。非常に難しいですよ。だって国境を越えない歴史を書かなきゃいけないから。もうほとんど不可能ですよね、はっきり言って。…
 チンギス・ハーンのことは書くと思うんです。そこから現在のモンゴルにまで来る間をどう説明するかですよね、途中を。だってもし若い子たちがロシアと中国を恨みに思うようなことを書いちゃったら、またそれはそれで政治問題になるから、でしょう? 本来自分たちの領土だったのに取られちゃったと思うとしたら…。歴史というのは本当に大変なんですよね。(笑)…

 マルクス主義だと、常に歴史というのは政治なわけですよ。…
これまではソ連の伝統の歴史を教えられてきた。押しつけられた。だからこれを逆転させた裏返しの歴史を書こうとするわけです。それ以外知らないんですもの。…
ウズベキスタンはティムールを建国の英雄と言って持ち上げていますが、私たちにしてみたら非常に面白いのは、ウズベク人がやってきてティムールを追い出したんですよ。…
「ウズベクは先住民と混血したんだから、いいんです」というふうに言い換えて、ティムールをウズベク民族を象徴する英雄として銅像を建てて、民族のアイデンティティにしようとしています。ほんとうに笑っちゃいけないんですよ。そういうふうにしないと国づくりができないわけです。いかに国家とか民族が幻想かがわかりますが、幻想がなければ外からの勢力に対抗できないわけです。
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by satotak | 2006-06-30 04:06 | モンゴル


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