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テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

モンゴル建国800年 -今、モンゴル人の意識は?-

モンゴル高原を統一したテムジンが、1206年春、オノン河の水源地に部下とモンゴル高原の遊牧部族・氏族の代表者を召集して大会議(クリルタイ)を開催し、その席上、全員の支持を受けて最高指導者つまりハーンに選出された。そしてテムジンの義弟にあたる大シャマンが、「勇猛な」という意味の古いテュルク語「チンギズ」から借用して、チンギス・ハーンという称号を授けたという。

モンゴル建国800年 -今、モンゴル人の意識は?-_f0046672_8512646.jpg今年は、そのチンギス・ハーン即位からちょうど800年モンゴル国ではそのためのWebサイトも立ち上げ、様々な行事が行われている(左はそのロゴマーク)。
はじめは観光客を呼び込むためのキャンペーンかと思ったが、それだけではないらしい。行事予定を見ると、いろいろなイベントが目白押しである。

しかし、現在のモンゴル人にとって、チンギス・カーンとはどんな存在なのであろうか。そしてモンゴルの歴史をどのように理解し、感じているのだろうか。また学校教育の中ではどんな歴史が教えられているのか。
岡田・宮脇両氏の対談「モンゴルとは何か」では、一党独裁体制から抜け出したものの、「歴史を失った」とでもいうようなモンゴルの混沌とした状況が語られていたが、あれから3年。モンゴル人の意識に何か変化があったのだろうか。

駐日モンゴル大使館Webサイトの冒頭、「ご挨拶」の中でザンバ・バトジャルガル大使が、「遊牧民族であるモンゴル人は世界の文明の発展を二度にわたって大きく押し進めました」と述べ、「チンギス・ハーンが建設したモンゴル統一国家」のほかに、「モンゴル人の祖先である匈奴(きょうど)」を挙げているのが興味深い。

ところで、今から44年前の1962年は「チンギス・ハーン生誕800年」であった。そして当時のモンゴル人民共和国では…

モスクワと北京との間で (Ts・バトバヤル著「モンゴル現代史」(明石書店 2002)より)
…1962年1月に開催されたモンゴル人民革命党中央委員会第二回総会で、チョイバルサンに加えられたと同様の新たな非難がツェデンバル政権に突きつけられたことは明白である。1959年、ツェデンバルを含む党指導者たちを「新しい条件下で古い労働のやり方」で進めていると激しく批判した党の新星D・トゥムルオチルは、ツェデンバルの最大の敵と考えられていた。ツェデンバルはトゥムルオチルを引きずり降ろす好機を待っていた。

チンギス・ハーン生誕800年記念祝賀をめぐる論争がモンゴルの党内抗争に火をつけた。当時政治局員であったトゥムルオチルの積極的な参画で、この記念祭は1962年5月から6月にかけて全国的に慶賀するよう準備が進められた。記念碑が建てられ、記念切手が発行され、また学者たちの祝祭会議が行われた。しかし、ソビエト政府はある種の民族主義の危険な復活を懸念し、出来る限り祝賀を抑圧した。

ツェデンバルはこの状況を利用し、トゥムルオチルが「民族主義的」行動をとっていると非難した。トゥムルオチルは暗に中国寄りとされることで1962年9月に追放された。その当時、ツェデンバルはますます疑い深くなり、忠誠心の疑わしい人たちを相次いで追放した。…チョイバルサンとは異なり、ツェデンバルは彼らを迫害せずに辺境へ終身追放した。…

by satotak | 2006-06-30 05:03 | モンゴル


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