テュルク&モンゴル

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2006年 12月 31日

モンゴル人の描くチンギス・ハーン即位 –モンゴルの新作映画から-

「モンゴル帝国を宣言する」(MIATモンゴル航空 機内誌 2006夏)より:

1206年のモンゴル国
当時のモンゴル国に36ヵ国と72の諸部族が服属し、優れた兵士は30万人以上、人民は700万人以上に達し、大地を持つ巨大帝国となったのである。

チンギスハーンの母オウルンさんが70歳になる
その年の一番重要な出来事はチンギスハーンの母であるオウルンさんが70歳になったことだった。この記念日をモンゴル国全土で正式かつ盛大に執り行ったのである。
さらにこの儀式がテムジンをチンギスと命名し、モンゴルをモンゴル帝国と宣言するまで一年中続く。テムジンがチンギスハーンに即位され、モンゴル帝国が築かれたことはまるでチンギスハーンからのお母さんへの恩返し、親孝行だった。
オウルンさんの70歳を祝う集会がこの年の4月に開かれたのである。

1206年4月の大集会の決定
チンギスハーンの大将軍と大臣らが話し会い、以下の3案をチンギスハーンに提案することを決める。
1.オウルンさんが今まで苦しみの中でチンギスハーンを育てあげ、モンゴル国のことを心から心配してきたこと、また70歳になることも含め祝うこと。
2.王子を結婚ざせること。
3.兵士らの能力を検定する、兵士らの功績を把握すること。
上記のことを理由に集会を開くことをチンギスパーンに提案した。

更に古代モンゴルの中央部に当たるヘルレン川の上流、大草原のオアシスに集会を開くことを決め、チンギスハーンの宮殿をオノン川岸に建てたのである。ここは集会を開き、色々を話し合うには最適な場所で、8月まで留まる必要があることをチンギスハーンに伝える。チンギスハーンは特にお母さんの70歳のお祝いの話を快く引き受け、自分の宮殿をまずそっちに移すよう指示し、10歳以上なら男女問わず集会に参加するよう指令を発した。
大勢の官吏は指令を持ち、オウルンお母さんの誕生日を4月1日に祝うことを各地に届けたのである。

オウルンさんの70歳のお祝い
そこでモンゴル国全体がまるで山が動き、海が移るかのようにオノン川上流に移動して行った。モホリ大将軍が最初に着き、5千人の軍隊でチンギスハーンの宮殿を建てる。次にオウルンさんとボルトさんの宮殿も建てはじめる、このようにチンギスハーンとご家族用の9つの宮殿を建て、そこから1キロのところで軍隊が見えるよう舞台を建て、チンギスハーンのために銀製の22棒からなる大ゲルを組み立てる。
そのゲルの天井に凡そ3メートルの金製の雷神を造り、121メートル長いフエルトを被せ、周りに13メートル幅の9色の幕を張り、宮殿の後ろに北極星を描いた旗と左右に太陽と月を描いた旗を立てた。
官吏らが集会の準備が完全になったことをチンギスハーンに伝え、チンギスハーンはオウルン母さん、家族とともに3回大砲で撃ち大音を出した後、オノン川岸に向かって出発した。モホリ大将軍は先走り、途中でチンギスハーンを9人の官吏が9回出迎えるよう指示していった。更に36ヵ国と72諸部族それぞれの旗が立てられ、各地にラッパと笛を準備し、チンギスハーンを迎える大砲の音を待ち全兵士が並んでいた。

その様にチンギスハーンはブルハンハルドンから大移動し、チンギスハーンに付き添う何万人の流れがオノン川に到着したところ、次々に3回大砲で撃ち、音楽も流れ、9人の高官がチンギスハーンを迎える。
チンギスハーンが到着された際に、両側から音楽が流れ、チンギスハーンは馬から降りテントに入り座った。
まもなくオウルンさん一行が到着し、チンギスハーンは将軍と官吏らと脆いて出迎え、中央テントの中でハダグ(神聖な布)を差し上げてからオウルンさんは宮殿に向かった.
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翌日4月1日に官吏らと将重達はチンギスハーンにオウレン母さんのために天と土に線香を差し上げるよう申し上げ、チンギスハーンは聖なる水でうがいし、線香で全身を清め、大ゲルに白いハダグを持ち入り、お母さんの長生きを祈った。
その後、突然静まり返り、ソルホンシャルが脆いてオウルン母さんの偉功を大声で読み始めた。そこでチンギスハーンに向けてハーン(天皇)に即位するよう依頼を申し上げた。今まで断ってきたテムジンはみんなの意見に賛同し依頼を受けいれた。オウルン母さんは大いに喜ぶ。

モンゴルという新名前
チンギスハーンは〈我が国は北国と知られている。ただいま外国の20ヵ国以上を支配している我が国に新しい国名が付く必要がある〉と考え、デイセツンとソルホンシャル等に新名検討を任せる。彼らは相談し、ヘルレン川に沿って生活してきたモンゴル人の祖先であるモン国の“モン”を取り、“最高に尊敬される青いモンゴル国”と名づけた。こうしてモンゴルという新国名が出来たのである。

チンギスハーンという新称号
新国名を考えている最中に、奇跡的に鳥が大ゲルの上に座り、9回チンギス、チンギスと鳴いて飛んで行ったのである。全員でこのことを相談し、デイセツンはチンギスハーンに“最も優れた人間をチンギスハーン"と命名することを伝えたという。
この話は伝説とも考えられるが、歴史に残された誠実な説明である。

1206年の12月1日の朝
12月の1日の朝、ソルホンシャルが先頭となり3回にわたって大砲を撃ってから音楽が流れデイセツン、ソルホンシャル、モホリ、ボールチ4人はチンギスハーンの宮殿に行き“人民が集まり、チンギスハーンをお待ちしているので皇帝の位置についてくださいませ"と申し出る。
チンギスハーンは身体を清め、新しい服を着て、宝石付きの帯を締め、仏塔の形をした帽子を被り王冠を載せ、耳に真珠をつけた金製のイアリング、9つの宝石を取り入れた首飾りをし、赤い靴を履いて出てきた。
全員が静まり返る。

この時夜が明け、大地に9種の楽器の音が響き渡り、チンギスハーンは天と土に向かい線香を持ちながら祖先に祈り、オウルン母さんに向かい脆いて敬意を表した後、全身を清め、ソルホンシャルとデイセツンに手伝わせて皇帝の位置についた。その時、全員チンギスハーンに3回脆いて9回頭を下げ、大声でチンギスハーンが長生きできるようにと祈った。
オウルン母さんにチンギスハーンまた将軍、官吏ら全員が一緒に脆いて敬意を表した。その時オウルン母さんは息子に対し〈ハーンとなった私の息子。国の全員を自分の子供のように気遣い、全員を自分のように許してあげてくだざい。私の45年の苦しさは無駄とならず我が息子がハーンとなり親孝行している〉と涙ながら喜んで言った。そしてチンギスハーンはボルトさんに向かいお互いにハダグを交わした後に、全員チンギスハーンとご家族に脆き敬意を表した。
このようにモンゴル帝国が宣言されたのである。

(参考) 映画「大帝国の真髄」  歴史的事実に基づく映画は、監督のみならず、出演キャストや製作スタッフにとっての挑戦である。モンゴル人は歴史映画の大作を製作することに関して豊富な経験を持っている。例えば「高貴なツォクトタイジ」、「賢明なマンドゥハイ女王」、「無限の天空の力のもとで」など。

J.ソロンゴ監督はこの映画を、昨年9月から始めて、比較的短期間で撮影した。この映画には他の歴史映画と比較していくつかの特徴がある、と監督が語っている。この映画は「モンゴル秘史」に基づいており、約40人の出演者が247人の中から選抜された。

この映画では、ジャムハをより写実的に描くことを目指した。彼はチンギスハーンを強調するために重要な役柄である。何故なら、彼らはかって親友であったが、後に敵対するようになってしまった。

あの時代を特徴付ける要因の一つである戦闘場面が、モンゴル兵士の武芸を強調して撮影された。チンギスハーンの妃たち、彼女たちの衣装と生活様式に関して、新しい試みがなされている。この映画で主張したいことは、チンギスカーンとモンゴルの繁栄は無敵の蒼い天空の力によるものである、ということである。(テンギス劇場で 7月10日初日)
(「MIATモンゴル航空 機内誌」(2006夏)の「大モンゴル国800周年記念 イベント」欄から)
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by satotak | 2006-12-31 07:03 | モンゴル


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