テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

突厥帝国と現在のトルコ民族

宮本淳子著「モンゴルの歴史」(刀水書房 2002)より:

552年に柔然を破って漠北のモンゴル高原の支配者となった新しい遊牧騎馬民「突厥」が、現在のトルコという民族名の語源である。しかし、トルコ民族という観念自体は、20世紀はじめに誕生した、たいへん新しいものである。「突厥」という漢字は、もともと「チュルク」という遊牧騎馬民の集団名の音訳だった。このチュルクを現代中国人は「土耳古」(トゥルクー)と音訳し、これを日本人がトルコと写した。だから、チュルクトルコも同じことばなのだが、日本では、現代のトルコと区別するために、古代トルコをチュルクといい分けることもある。

現在のトルコ共和国は、1923年に建国された。その前身のオスマン帝国を建てたオスマン家は、13世紀に今のトルコ共和国のあるアナトリアに駐屯したモンゴル軍の出身である。オスマン帝国は、15世紀にビザンティン帝国を滅ぼしてイスタンブルに都を移し、16世紀には、その支配権はバルカン半島、東地中海、西アジア、北アフリカをおおった。
オスマン帝国の最盛期は約150年続いたのち、1683年にハンガリーを失ったのを境にして、18世紀には西ヨーロッパのほうが優勢になりはじめ、最後に第一次世界大戦に敗れて解体してしまった。

残ったアナトリアのアンカラで、ケマル・アタチュルク[「チュルクの父」という意味]がトルコ共和国を建国した。初代大統領となったケマルは、国家の独立を維持するため、トルコ民族主義をスローガンとして採用したのである。
オスマン帝国時代には、「トルコ人」は「遊牧民」という意味で、地方に住む[田舎者」という蔑称でもあった。宮廷の支配層は、自分たちのことをオスマン人といい、自分たちのことばをオスマン語と呼んでいた。オスマン帝国を構成した人びとは、さまざまな人種から成っていた。

しかし、建国したばかりのトルコ共和国をまとめるためには、国民の団結が必要である。ケマルは、トルコ共和国民は、純粋なトルコ民族である、と主張し、その建国は552年にさかのぼる、と決めた。つまり、突厥帝国がトルコ共和国の祖で、現在のトルコ共和国民はすべて、モンゴル高原と中央アジアからアナトリアに移住した、と主張したのだ。
…人種や言語による区分は、きわめて政治的な動機から生まれたものだし、このように、民族という観念も、人間の創り出したイデオロギーなのである。

そうであれば、現代の「政党」は「民族」の発展(それとも矮小化)した形と言えるかもしれない。
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by satotak | 2006-06-30 01:09 | トルコ


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