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テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

バーブル -テュルク/モンゴル、インドへ-

「地域からの世界史 第6巻 内陸アジア」(間野英二・他著、朝日新聞社 1992)より:

サマルカンドの陥落
バーブル(正式にはザヒールッ・ディーン・ムハンマド・バーブル)は1483年、ティムール朝(注1)の王子として中央アジアのフェルガナに生まれた。父はティムール朝フェルガナ領国(ヴィラーヤト)の君主で、母はチンギス・ハーンの血をひくモグーリスターン・ハーン家の王女であった。1494年、父が谷底へ転落するという事故で急死したため、バーブルは11歳の若さで父の位を継ぎ、フェルガナ領国の君主となった。

時は歴史の一大転換期であった。バーブルの属したティムール朝は、中央アジアの草原地帯に勃興したウズべク族のシャイバーニー・ハーンに対抗することができず、1500年にサマルカンド、1507年にへラートと、二つの首都を相次いで征服され、建国後137年にして滅び去った。

この間、バーブルは若年にもかかわらず、ティムール朝の栄光を回復すべく孤軍奮闘した。…

バーブル -テュルク/モンゴル、インドへ-_f0046672_7354341.jpgムガル朝の建国
ウズべクの勢威は日増しに強くなり、中央アジアでの活動に見切りをつけたバーブルは、1504年、アフガニスタンに転戦してカーブルを制圧、この地に自らの小王国を築いた。彼は1511年、シャイバーニー・ハーン死去の機会をとらえ、三度目のサマルカンド入城をはたしたが、翌1512年ウズべク軍に敗れ、故地中央アジアでの政治活動に完全な終止符をうたれたのである。

カーブルに帰ったバーブルは、以後活動の舞台をインドに移し、前後五次にわたるインド遠征を企てた。1526年、ついにパーニーパットの戦いでロディー朝軍を粉砕して、アーグラを本拠とするムガル朝を建国 。翌1527年にはカンワーの戦いにも勝利してインド支配の基礎を確立した。しかしそれからほどなく、1530年には病をえて、アーグラで死去した。47歳であった。

これだけの生涯であれば、バーブルはアレクサンドロス、チンギス・ハーン、ナボレオンなどと同様の優れた軍人、卓越した政治家であるにとどまるであろう。しかし、バーブルは異なっていた。彼は同時に優れた文人でもあったのである。

文人としてのバーブルの名声は、彼が残した不朽の名著『 バーブル・ナーマ』 (『 バーブルの書』 )に由来している。この書は、15・16世紀の中央アジア・トルコ民族の問で発達した文章語、すなわちチャガタイ・トルコ語を用いてバーブル自身が著した回想録である。

内容は、1494年の即位から病没の前年すなわち1529年にいたる約35年間の出来事を、ほぼ年代順に綴ったものである。全体はバーブルの活動地域の変遷を反映して、フェルガナ(中央アジア)章、力ーブル(アフガニスタン)章、ヒンドゥスターン(インド)章の3章からなり、各章には興味深い地誌や伝記なども織り込まれている。

ただ残念なことに、バーブル自筆の原本は散逸し、現在、写本を通じて知られるのは、本来存在したはずの約35年分のうちの約19年分にすぎない。…

勇猛な精神と繊細な感情
『 バーブル・ナーマ』 (注2)は、多くの東洋学者が指摘しているようにトルコ文学史土の傑作である。簡潔で的確無比の文体は、すべての事象を明瞭に、いきいきと描き出す。そればかりか、この書の中でのバーブルの語り口は、実に率直である。イスラーム世界では禁じられていた飲酒についての数多い体験の告白をはじめとして、麻薬、恋愛、心配、喜び、疑心、憎悪など、その時々のバーブルの体験や心境が、飾ることなく、ありのままに書き記されているのである。
このような書物は、おそらく剛直な精神とナイーブな情感をあわせもつ、稀有な人物によってのみ著されうるものであろう。

バーブルは見事な散文の作者であると同時に、また優れた詩人でもあった。彼の詩を集めた『 バーブル詩集』の冒頭は、ふつう次の対句で始まる。

  わが心よりほかに頼るべき友なし
  わが魂よりほかに信ずべき朋なし

なんと繊細な、孤独感にあふれた詩であろうか。これがいくたびも修羅の巷をくぐりぬけた勇壮な武人の手になるとは、信じがたいほどである。しかし、これがバーブルであった。…

(注1)チムール朝:チムール(1336-1405)が起こした王朝。彼は、13世紀初頭チャガタイ・ハーンとともにモンゴリアから中央アジアに移住したモンゴル人貴族の子孫であった。移住後5世代を経るうちに、言語面では完全にテュルク化し、宗教面でもイスラーム化していたが、勇猛果敢なモンゴル遊牧民の血をなお失っていなかった。
(注2) 『 バーブル・ナーマ』:この興味深い回想録には間野英二による邦訳として、『 バーブル・ナーマの研究 Ⅲ 訳注』(松香堂 1998)がある。

by satotak | 2006-06-30 02:02 | インド


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