テュルク&モンゴル

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2008年 08月 01日

オイラトとモンゴル

「オイラト族はオイラト族である。みなさんモンゴルの一部と誤解しないようにご注意して頂きたいです。」
(「最後の遊牧帝国 ジューンガル」(200.12.10)へのコメントより)

「オイラト族は自分の文化、習慣などをもっている一つ民族です。
モンゴルの一部ではないしモンゴル系でもないです、ということを伝えたいです。正確なことを日本のみなさんに。
…オイラトについての誤解される情報が結構流れているからです。」

(「オイラト人の留学生」氏からのメール(2007.7.31)より)


「オイラト」に対するアイデンティティあるいはこだわりが、現在もこのようにあるとは知らなかった。
私自身は、「ジュンガル」、「トルグート」あるいは「ホシュート」といった部(民)族には直接的な関心を持っていたが、「オイラト」はそれらの歴史的総称ぐらいの認識しかなく、現在に生きている名称とは思っていなかった。。


中央ユーラシアを知る事典」(2005 平凡社)を見ても、「オイラト」という独立した項目はなく、「カルマク」、「ジュンガル」、「モンゴル」などの項目の中で言及されているだけである。
これらの中で、オイラトはどのように述べられているか…

モンゴル
…元朝が崩壊し、モンゴル高原に戻った集団、いわゆる北元を明朝が〈蒙古〉と呼ばず〈韃靼(だったん)〉(タタル)と呼んだのは、元朝の後継として了解されるような〈蒙古〉を用いるわけにはいかなかったからである。…統一以後のモンゴル族が自身の民族名としてタタルを用いることはなく、他称である。
一方、アルタイ西部に割拠したモンゴル系諸集団は〈オイラト(オイロト)〉と総称された。元朝の後裔であるモンゴル(=韃靼)と、そうでないオイラトとの間の対立は強く、その後のモンゴル史を決定づけ、今日でも民族内対立は潜在している。…

ジュンガル
17世紀後半から18世紀中葉にかけて中央アジアを席巻したモンゴル系遊牧民の帝国。実体はジュンガル部族長を盟主とするオイラト=西モンゴル族の部族連合。オイラト遊牧民は14世紀の半ば以降、中央アジアのテュルク系の人々からカルマクと呼ばれたが、…

カルマク
中央アジアのテュルク諸語において、モンゴル系のオイラトをさす言葉。オイラトは、中央ユーラシアにおいて大きな勢力を持った遊牧集団の一つで、15~18世紀にかけて中央アジア各地を幾度にもわたって攻撃し、その住民に甚大な被害を与えたり、部族の構成や分布に大きな変化をもたらしたりした。…


ウィキペディアによれば

オイラト
オイラト(Oirad, Oyirad)は、モンゴル高原の西部から東トルキスタン(新疆)の北部にかけて居住する民族。
オイラト人と呼ばれる人々は、15世紀から18世紀にモンゴルと並ぶモンゴル高原の有力部族連合であったオイラト族連合に属した諸部族の民族である。彼らは近代中華人民共和国、モンゴル国の一部になった後、モンゴル民族の一員とみなされている。しかし、本来はオイラト族である。ロシア連邦ではカルムイク人と呼ばれ独立した民族とされている。現在の人口はおよそ20万人から30万人。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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by satotak | 2008-08-01 21:11 | モンゴル


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