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テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

「ウイグル」という名前

ウイグル人のエリキン・エズィズ氏(Erkin Ezizi、カシュガル出身、現在トルコ在住)が2000年に書いたもの。分かり難い言い回しがあるが、原文のまま掲載する:

歴史家が20世紀の20年代から「ウイグル」と言う名前について研究を始めた。

1. 20世紀の20年代にRadlof先生は:
...彼ら(ウイグル人、伝説のトルコ語で話す民の祖父)は「神様」を信仰する為に自分の叔父さん達、友達など多くの部族と戦争しなければならなかった。戦争中にその民の一部は祖父に協力し、一部はそれに反対して戦って負けてから服従した。彼らは勝利を勝ちとってから、勝利式を行って自分の民と部族のアクサカル(知事、リーダー)、戦士達を誉めて、統一したこの部族等の名前を「ウイグル」と呼んでいた。この名詞は「連合した人達」、「協力した人達」と言う意味を表していた。それからこの名前を部族連合に参加した民だけではなく、彼らの部下、子孫なども自分の名前として用いてきた。...
 Radlof先生はこの定義を、西暦16世紀に書かれた「Tarihi Rashidiye」(ラシード史)の第一章を参考にして、「Kut Atgu Bilik」(中国語に「福楽智恵」と翻訳された、意味は幸せを与える知識)の為に書いた「前書き」を通して発表していた。その後、この定義を証拠とする人が増えた。

2. 上述の定義の前に、17世紀の歴史家のObulghaziさんは「Shejere’i Turk」(突厥部族史)と言う本に:
...Oghuzhan(オグズハン)は彼らに「ウイグル」と名前を付けた。これは突厥語で、「ウイグル」ということはみんな知っている「集まる」、「固まる」と言う意味である。ミルクは固まったらヨーグルトになる。それに似ていることだ...と説明していた。

3. 上述の定義以前に、西暦11世紀に言語学者Mahmut Kashgariが書いた「トルコ語大辞典」に:
Zulqerneyin(アレクサンダー大王)がトルコ国に近づいた時に、トルコ王はそれに抵抗する為に4000人の兵隊を派遣した。彼らの帽子は鷹の翼に似ていて、弓の弾を前方と同じように後ろにもその水準で上手く打っていた。Zulqerneyin(アレクサンダー大王)はこれを見て驚いて、「Inan Huz’hurend」(意味は、彼らは(他の)人に依らず、自分の食料品を取って食べられる人達だ、彼らの前から野生動物は逃げられそうもない、好きな時に取って食べられる。)と述べていた。
「トルコ語大辞典」にMahmut Kashgariさんは「Huz’hur」という単語の音便規律について説明している:「H」は「i」に、「z」は「y」に、「h」は時には「gh」に変わることも常にある。そして「Huz’hur」は「Uigur」,「Uyghur」)になっている。

by satotak | 2006-06-30 02:11 | テュルク


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