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2008年 10月 20日

シベリア先住民族 -日本はどう向き合うか-

ジェームズ・フォーシス著・森本和男訳「シベリア先住民の歴史 –ロシアの北方アジア植民地」(彩流社 1998)より:


シベリアの先住民


シベリアの自然地形


北方アジアの民族(1600年頃)



17世紀の西シベリア



17世紀の中央シベリア


17世紀の東北シベリア



19世紀の極東



ロシア人によるシベリア征服


1934年のシベリアと東ロシアにおける民族領域




トゥヴァ人のシャーマン

アムールのナナイ

エヴェンキの猟師


1980年頃のシベリアの民族


シベリアの人口



ノゴ族のアニコ


訳者あとがき
シベリアと言うと、多くの日本人は「シベリア鉄道」、「シベリア抑留」のことを思い出し、そして、広漠とした大地に、白樺や、モミ、スギからなる森林が延々と続く、単調な景色を頭の中に思い浮べるであろう。ロシア文学に登場するモスクワやサンクト・ペテルブルク等のヨーロッパ・ロシアの都市のイメージと、やや異質な印象をシベリアについて抱くはずである。その上、冷戦構造、中ソ紛争等の複雑な地政的状況が長く続き、距離的にさほど遠くないシベリアの情報が日本に届きにくかったために、日本人のシベリアのイメージは漠然となりがちであった。この傾向は、今日でも日露間の領土問題が未解決なまま、さほど好転していない。ともかくも、日本人にとってシベリアは、アメリカ、ヨーロッパ、中国、東南アジア等と比較して、それほど身近に感じられるような地域ではなかったし、また、深く理解していると決して言えるような場所でもないだろう。

現在シベリアは、まぎれもなくロシアの一部となっているが、そこは太古からロシアの土地であったわけではない。大航海時代の幕開けと同時に、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス等の西ヨーロッパの帝国諸国が、金銀財宝を始めとする富を求めて、世界各地に侵出した。それと同じように、ロシア人も毛皮の富を求めて東へと進み、次々に領土を拡張して一時は、アラスカまでをも版図の内に取り込んだのであった。また、西ヨーロッパの植民地為政者たちが世界各地でその土地の先住民に遭遇し、彼らを植民地統治下に置いたように、ロシア人もシベリア各地で様々な先住民と出会い、片っ端から彼ら帝国の統治体制に組み入れて搾取したのであった。16世紀から始まったヨーロッパ諸国によるアジア、アフリカ、アメリカの分割と植民地支配は、その後400年の間に、植民地の独立や民族運動が盛んになるにつれて表面的には姿を消していった。しかしながら、シベリアは植民地のよう性格であったにもかかわらず、宗主国から独立することも、あるいは連邦制の下で分離するということもなく、今でもロシア国家の枠組みの中に留まっている。その意味で、シベリアはロシアの中で特異な存在なのである。…

ここ数年のシベリア先住民を取り巻く状況について、訳者宛の私信で、筆者は以下のように語っていた。ロシアにおける全般的な社会経済的凋落は、先住民の状況改善を(ダイヤモンドを所持しているヤクート・サハを除いて)ないがしろにしている。「主権宣言」や、憲法上の自治共和国としての地位の承認は、実際上、ほとんど何も意味していない。空前の規模の腐敗と犯罪をともなって、私人、州幹部、大企業は、絶え間ない富の略奪に夢中となっている。国の職員は給料を手にしておらず、生活水準きわめて低い。国家の平常な機能はマヒしていて、税金は集まらず、信頼できる輸送はない。社会福祉のための基金もない。ほとんどの平均的市民は、悪化し続ける悲惨な状況に苦しんでいて、シベリアの非ロシア人を思いやる余裕を欠いている。冬になると東シベリアでは、ウラジオストクから船で輸送される狩猟民や漁労民たちへの供給品がしばしば滞る。伝統的な生活技術の復興によってのみ、そのような共同体は生き長らえているのである。

地域研究は、言わば、政策決定に必要な情報収集のような性格をも兼ね備えているのである。イギリス人によって記述された本書にも、そのような傾向が全く無いわけではない。古ロシアのシベリア侵略の動機を、他の世界帝国の場合と同様に、飽くなき富への追及に求めたのはごく自然であり、誰もが納得できるだろう。イギリス人は、大英帝国の世界侵略過程を熟知しているので、この点を明確に描写できたのである。けれども、旧ソ連邦の民族政策については、いわゆる「西側」社会の価値観を反映して、社会主義的民族施策や集団化をも含め、概して否定的な見地から述べられている。確かに旧ソ連邦の崩壊前夜から多発した民族紛争などを見ていると、旧ソ連邦の民族政策が必ずしも完全であったとは言い難いだろう。だが、シベリア先住民は、初期ソヴィエト政権の下でロシア史上初めて搾取される対象から外された。その存在が認められ、表面的ながらも民族自決権さえも付与され、国家の側から各種の施策がなされた。同時期に、第三世界の多くの民族、先住民が植民地支配の苦しみにあえいでいたことを考えると、ソヴィエト政権の民族政策に肯定的な側面もあったのではなかろうか。ソヴィエト社会主義体制下の民族政策については、まだ十分な研究がなされておらず、検討の余地があるだろう。

さて、日露関係は、現在、領土問題の交渉のもつれ等から、かなり冷えきっている。経済関係も、近隣諸国と比べてきわめて小規模である。このような膠着した事態を打開しようと、1997年7月に橋本首相は新しい外交政策である「ユーラシア外交」を表明し、11月にクラスノヤルスクで開かれた日露首脳会談に臨んだ。この会談で、日本側は領土問題をめぐる平和条約の締結に関心を寄せ、ロシア側は「橋本-エリツィン・プラン」の対露経済協力に期待を寄せた。すでに日本では、極東・シベリアのエネルギー資源の開発について、政財官界の間で着々と構想が練られ、その展望には、エネルギー開発をめぐる東アジア全体の秩序までをも、視野に含めている。この流れからすると、将来必ず日露双方の国益を背景にして、日本とシベリアの交流は活発になるはずだ。その時、日本人はシベリア開発、そして先住民の問題に直面するだろう。旧ソ連時代に起きたシベリア開発と先住民をめぐる問題について、ロシア政府は十分な結論や、改善策を打ち出さないうちに、外国資本の援助を受けながら巨大開発を再開するかもしれない。そして日本人は、現地の問題を深く知ることなく、大規模開発に専念するかもしれないのである。

シベリアの潜在的な経済的可能性を、ロシアや日本だけが認識しているわけではない。…シベリアの資源は、ロシア外交の不可欠な要素となっており、今後、シベリア開発はさらに促進されるであろう。これらの大国の利害が渦巻く中で、シベリア先住民の運命は翻弄されてしまうのではなかろうか。旧ソ連邦時代まで、シベリアの大自然と先住民たちは、ロシアの経済開発にだけ左右されていたわけだが、シベリア開発の国際化とともに、冷酷な世界市場の荒波にさらされてしまう可能性が強い。

将来、シベリアは経済開発を軸に、ロシアだけでなく、日本や世界との結び付きを強めるだろう。その結び付きは単なる経済的関係にとどまらず、社会文化的交流にも拡大されるであろうし、またそうすべきである。シベリアを単なるエネルギー供給源用の土地と見なし、もしも、それ以上の関係に目を向けようとしないならば、そのような態度は、かつてのソヴィエト政権が犯した間違いを再び繰り返すことになるだろう。また、国家的戦略の見地からのみ隣国に接するという態度は、あまりにも時代錯誤的で、貧困な精神を表明しているように見える。となると必然的に、関係を結ぶ側にとって、シベリアの歴史、先住民、ロシア人に関する認識が必要となろう。過去の出来事についても、例えば日本の場合、シベリア出兵、満州国の建国と崩壊、シベリア抑留、サハリンの朝鮮人問題等々を直視しなければならないだろう。先住民に関しては、日本のアイヌ問題と同じように、歴史的な民族問題に対する判断を避けて通ることはできまい。要するに、シベリアと接するにあたり、日本人独自の見識が要求されるのである。日本人にとってシベリアが何を意味するのか、その姿勢も問われるだろう。

外交的にもシベリアヘの関心が高まっているのに反して、日本国内で当該地域を研究対象としている研究機関、研究者はきわめて少ない。残念ながら、…日本にはシベリアの情報が根本的に乏しいのだ。さらに、日本におけるロシア語圏研究の現状も、さほど芳しくない。…とは言うものの、シベリア民族の研究には様々な意義があり、日本人による研究が、今後も進展することを願ってやまない。…
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by satotak | 2008-10-20 16:23 | シベリア


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