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テュルク&モンゴル

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2006年 06月 30日

モンゴル建国

宮脇淳子著「モンゴルの歴史 遊牧民の誕生かモンゴル国まで」(刀水書房 2002)より:

チンギス・ハーンの即位
モンゴル高原を統一したテムジンは、1206年の春、オノン河の水源地に、部下とモンゴル高原の遊牧部族、氏族の代表者を召集して大会議(クリルタイ)を開催し、その席上、全員の支持を受けて最高指導者つまりハーンに選出された。テムジンの義弟…の大シャマン(巫)、ココチュ・テブ・テンゲリが、チンギス・ハーンという称号を選んで授けたが、チンギスというのは、古いトルコ語のチンギズの借用であって、「勇猛な」という意味である。

さらに、ココチュ・テブ・テンゲリは神がかりになって次の天命を宣言した。
「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。これは汝らに伝える言葉である。我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人びとに、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。我が命令を聞き知りながら従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である」。

これは地上の全人類に、チンギス・ハーンを唯一の君主として絶対服従することを命ずる、神聖なる天の命令だった。チンギス・ハーンも、かれをハーンに選出したモンゴル高原の全遊牧部族も、この天命を固く信じ、この天命に導かれて世界征服の事業に乗り出したのである。チンギス・ハーンと家臣たちにとって、無条件で降伏しない者は天に逆らう極悪人であり、極悪人を殺し尽くすのは、天に対する神聖なる義務を果たすことだった。いつの時代も、宗教の果たす役割には恐るべき力がある。

チンギス・ハーンが君主に即位した1206年が、モンゴル帝国建国の年であり、現代のことばを借りればモンゴル「民族」誕生の年である。君主になったチンギス・ハーンがモンゴルと総称される氏族集団の出身だったので、新しい遊牧部族連合の名前もモンゴルになったのだ。ただし、…このとき誕生した「モンゴル」は、種々雑多な遊牧民の連合だった。今のわれわれが考えるような「民族」という観念は、当時の世界には存在しなかった。

モンゴル帝国から始まった世界史

ちかごろ日本でかなり普及してきた惹句であるが、「世界史はモンゴル帝国とともに始まった」と最初にいったのは、岡田英弘著「世界史の誕生」(筑摩書房、1992年)である。
右の書物の岡田説を簡単に紹介すると、そもそも、歴史というのは文化であって、単なる過去の記録ではない。歴史という文化は、地中海文明では紀元前5世紀に、中国文明では紀元前100年ごろに、それぞれ独立に誕生した。それ以外の文明には、歴史という文化がもともとないか、あってもこの二つの文明の歴史文化から派生した借り物の歴史である。歴史という文化を創り出したのは、地中海世界では、ギリシア語で『ヒストリアイ』を書いたヘーロドトスであり、中国文明では漢文で『史記』を書いた司馬遷という、二人の天才だった。…

しかし、同じ歴史とはいっても、へーロドトスが創り出した地中海型の歴史では、大きな国が弱小になり、小さな国が強大になる、定めなき運命の変転を記述するのが歴史だ、ということになっている。一方、司馬遷の『史記』では、皇帝が「天下」(世界)を統治する権限は「天命」によって与えられたものであって、この天命の伝わる「正統」を記述するのが歴史である、ということになっているから、中国型の歴史では変化は記述しない。だから、日本の西洋史と東洋史は、「世界史」と名前を変えても水と油のままなのだ。

ところが、中央ユーラシア世界を中心にしてみると、世界史の叙述が可能になる。すでにヘーロドトスと司馬遷に遊牧騎馬民の活躍が記されているが、実は、中央ユーラシア草原の遊牧騎馬民の活動が、東は中国世界、西は地中海世界そしてヨーロッパ世界の歴史を動かす力になった。そして、13世紀に、モンゴル帝国が草原の道に秩序をうち立てて、ユーラシア大陸の東西の交流を活発にしたので、ここに一つの世界史が始まったのである。13世紀のモンゴル帝国の建国が世界史の始まりだというのには、四つの意味がある。

第一に、モンゴル帝国は東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人びとを一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したことである。

第二に、モンゴル帝国がユーラシアの大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破産になり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々が分かれた。それがもとになって、中国やロシアをはじめ、現代のアジアと東ヨーロッパの国々が生まれてきたことである。

第三に、北中国で誕生していた資本主義経済が、草原の道を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパヘと広がって、現代の幕を開けたことである。

第四に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占してしまった。このため、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から海洋帝国へと変わっていったことである。

1206年のチンギス・ハーンの即位に始まったモンゴル帝国は、このようにして、現代の世界にさまざまの大きな遺産を残した。世界史はモンゴル帝国から始まったのである。

by satotak | 2006-06-30 04:02 | モンゴル


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