テュルク&モンゴル

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2007年 04月 22日

キルギズの起源

護雅夫・岡田英弘編「民族の世界史4 中央ユーラシアの世界」(山川出版 1990)(筆者:加藤九祚)より:

…キルギズの起源については、一般にイェニセイ・キルギズと天山キルギズの二つに分け、その相互関係について諸説がある。イェニセイ・キルギズに関する資料は、漢代に匈奴の北にいたという堅昆(けんこん)、鬲昆(かくこん)にはじまり、南北朝時代の結骨(けっこつ)、契骨(けっこつ)、唐代の黠戞斯(キルギス)、紇斯(キルギズ)、古代トルコ語碑文のqyrqyzとしてあらわれている。『新唐書』では農耕民として登場している。『史記』匈奴伝の堅昆は、ソ連の考古学者L・キズラソフによれば初期テュルク(トルコ系)のタシュティク文化の担い手であるとしている。そして本来のイェニセイ・キルギズ(彼はハカスと称している)の文化は6世紀以降とし、ソ連の考古学では南シベリアのトゥーヴァとミヌシンスク盆地の6-12世紀の考古学的遺物を「イェニセイ・キルギズの文化」として総括している.

つぎに「天山キルギズ」であるが、これは現在天山、パミール・アライ方面に居住しているキルギズ人、つまりソ連のキルギズ共和国のキルギズ人のことである(注1)。この天山キルギズと歴史上のイェニセイ・キルギズとの関係はどのようなものであろうか。民族学者S・アブラムゾンはこの問題について三つの仮説があることを指摘している。

第一は天山地方を調査した考古学者A・ベルンツュタムの仮説とそれを発展させたものである。ベルンシュタムは、天山地方には前3-前1世紀までサカ、烏孫など東イラン語系の人びとが住んでいたが、前1世紀ごろから紀元4-5世紀ごろまで匈奴を主力とするトルコ語系の人びとが進入した。「この地域の東イラン系諸族はしだいにその立場を失い、トルコ語系の人びとがそれにとってかわった。キルギズもその一つである。」 ベルンシュタムは、キルギズがはじめて天山地方に現われた時期を、前49-前47年 匈奴が郅支(しっし)単于に率いられて天山地方に入り、一部はタラス川流域に住みついたときと考えている。彼の調査したケンコール古墳は匈奴の残したものとされている。ベルンシュタムの説はその後一部修正され、イェニセイ・キルギズは匈奴以後千三百-千四百年の長期間、幾波にもわたってイェニセイ川上流域から天山方面に移住したとの説になっている。

第二の説。キルギズは遠い古代から天山およびパミール・アライの山地に変わることなく居住したとするものである。この見解はN・ビチューリン、Ch・ワリハノフ、N・アリストーフらの研究者たちがこれに属し、近年はカザーフ共和国の学者A・マルグランによって発展させられた。彼は9-10世紀におけるキルギズの政治的連合の中心はウルムチおよびトルファン北部地域にあったとの結論に達した。キルギズはここからいくつもの方向へ移動したが、天山方面へ移動したグループの一部がこの地域に残って、キルギズという名称をえたというものである。

第三の説。これはK・ペトロフの見解で、後代にキルギズというエトノス(民族を構成する要素)を形成した人びとは、イェニセイ川とイルティシュ川の河岸地帯からのキマク(キプチャク)・キルギズ、さらにはキマクに近い東部キプチャク諸部族であるとするものである。彼らははじめ(13世紀中ごろ)イリ川とイルティシュ川の河間を占め、ついで天山中央部に進出した。天山方面への移動は、はじめいくつもの小グループによっておこなわれ、他のモンゴル・トルコ系住民と混じりあった。しかしティムール時代以後(15世紀)になると大移動となり、キルギズ民族形成過程のはじまりと時を同じくするにいたった。

アブラムゾン自身の見解はおよそつぎのとおりである。キルギズの物質文化、伝承、部族名などはアルタイ、イルティシュ川上流部、モンゴル、東トルキスタン、チベット周辺の諸民族に近い。こうした事実からして、現代のキルギズの形成過程は主として天山東部およびそれに隣接する地域において、トルコ系譜部族を基盤にしてなされた。これら諸部族の大部分は、おそらく6-10世紀の突厥国家時代の諸部族にさかのぼると考えられる。いくらか時代が下がると、キルギズの民族形成にモンゴル起源の部族もくわわった。キルギズの中央アジア移動はモンゴル時代以後と考えられるが、このころになると、キルギズは、一面ではカザーフ・ノガイ的要素、他面ではウズベクおよび部分的にはタジクに代表される現地の中央アジア的要素によって補充されるにいたった。要するに、アブラムゾンは、イェニセイ・キルギズと天山キルギズの間には、間接的関係はありうるけれども、直接的関係はみられないとの見解に立っている。この点、ベルンシュタムのイェニセイ・キルギズ移住説とは根本的にちがっている。

イェニセイ・キルギズは、17世紀にロシア人がシベリアに進出した当時、四つの小部族連合に分かれて狩猟と牧畜に従事していた。農耕はなかった。18世紀初頭、キルギズの2500家族がカルムィク人によって南シベリアから連れ去られた。これ以後シベリア諸民族のなかでキルギズの名は消滅した。しかし一部のキルギズはその住地に残り、自称、言語、生活様式などの特徴を失い、ハカス、トゥーヴァなどの民族に溶けこんだことは確かであると考えられている。

(注1) クルグズ[人]:中央アジアの天山山脈西部・パミール高原地方に居住する民族。 キルギスともいう。
テュルク系諸民族の一員で、クルグズスタンでは最大人口を占める。同国には約333万人(2003年クルグズ共和国統計)が、その他中国・新疆ウイグル自治区に十数万人(中国語名は柯爾克孜)、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、アフガニスタン等に分かれて数十万人が暮らすと推定される。テュルク諸語キプチャク語群に属すクルグズ語を話し、大多数はスンナ派イスラームを信仰している。
〈クルグズ〉は自称で、いくつかの起源伝説がある。おもなものに①〈ハンの娘の40人の侍女〉=〈40 kirk〉+〈娘kiz〉の子孫、②〈40の部族〉=〈40 kirk〉+〈部族uruu〉の子孫、③〈連峰kir〉に住む人々=〈クルクルラルkirkirlar〉または〈クルキスレルkirkisler〉の子孫といった伝説が挙げられる。
(「中央ユーラシアを知る事典」(平凡社 2005)より)

by satotak | 2007-04-22 20:41 | キルギス


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