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テュルク&モンゴル

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2008年 03月 30日

シボ族の西遷 -瀋陽からイリへ-

「NHKスペシャル 新シルクロード2」(NHK出版 2005)より(筆者:矢部裕一):

旅の終わりに
シボ(錫伯)族(注1)という少数民族が、新疆のカザフスタン国境近くのチャプチャル・シボ族自治県に住んでいます。
草原の道の旅の終わりに、私たちはこのシボ族を訪ねることにしました。彼らは遊牧民ではなく、元々は遊牧民であった古代拓跋鮮卑(たくばつせんぴ)族の末裔ではありますが、数百年前から遊牧は行わず、半農半猟の生活を送っています。なぜ、最後に遊牧民でないシボ族を訪ねるのか? それは、彼らの存在が、遊牧民の近代国家の中での遇され方を象徴しているように思えたからです。

8月28日、チャプチャル・シボ族自治県では、西遷節というお祭りが行われていました。
西遷節とはその名の通り、シボ族が西へ向かって移動した時のことを記念するお祭りで、シボ族とは18世紀、清朝皇帝の命により故郷である中国・東北地方の瀋陽(しんよう)から苦難に満ちた5000キロの道のりを1年9か月の月日をかけて大移動し、この地に住み着いた人々なのです。

シボ族を大移動させた清朝の目的は、少数民族であるシボ族を用い、騎馬遊牧民ジュンガルの残党による反乱を制圧し、対ロシアの国境線を守ることにありました。シボ族はこの命令に従い、大移動の末チャプチャルに住み着き、戦争の時は銃をとって前線で戦い、平時にも軍備を怠ることなく、辺境の荒れ地を開墾して生きてきました。彼らの存在で、ほぼ現在あるような国境線が確定することになりました。

清朝皇帝の苛酷な命令に従ったシボ族ですが、その「草原の道」を西へたどる1年9か月の旅路の記憶は、シボ族受難の歴史として、今でも歌や絵画など様々な形で次世代に伝えられています。文字を読み書きできない人にも伝わる、文字によらない歴史の継承。私たちは、シボ族の西遷の旅路を、史実に基づき40年にわたって絵に描き続けている画家、何興謙(かこうけん)さんを訪ねました。

何さんは元々学校の絵の先生で、ある時、自分たちの歴史を後世に伝えるため絵を描くことを決意し、現在まで50枚もの西遷の絵を描き続けています。ある時は極寒の洞窟でひと冬を過ごし、またある時は十分な食料もなく乾燥した砂礫の原を強行する長く苦しい旅路でした。そのため逃亡者が続出したのですが、その逃亡者は捕らえられ、皇帝の命に背いたとして処刑されました。自分たちの仲間を自分たちの手で処刑するという、筆舌に尽くしがたい体験を描いた絵を目にすると、ある感慨が私たちをつつみます。

[拡大図]

その感慨とは、次のようなものです。
これまで私たちは、騎馬遊牧民のかすかな歴史をたどってきました。国境にも民族にも囚われることなく、ユーラシアの大地を風のように走り抜けていった遊牧民を、国境線の中に押し込める役割を担ったのがシボ族ですが、彼らもまた時の権力によって暴力的に強制移住させられた民でした。少数民族を制するのに、少数民族の手をもってするという、近代国家の非情さ。そして、その苛酷な運命に従順に処して、それを誇りとしている人々が、今も中国の片隅で生きています。
ごく平凡な日々を生きているシボ族の人々、そのひとりひとりが、こうした近代の歴史を背負っているのだなあ、と思うのです。


(注1) シボ族シベ[人] | sibe[満洲語]
中国東北の嫩江(のんこう)流域を原住地とし,ツングース系言語を話す民族. シボ人とも. 漢語では錫伯と表記する。2000年の中国の人口調査によると, 人口は約18万9000人, そのうち約13万3000人が遼寧省に, 約3万5000人が新疆ウイグル自治区に居住する.

1692年にモンゴル族ホルチン部の支配下から, 清朝の直接支配下に移り, チチハル, ベドゥネ(吉林省松源市), 吉林の駐防兵となり, 99年から1701年にかけて, チチハル, ベドゥネのシベ族は盛京(遼寧省瀋陽市)に, 吉林のシベ族は北京に移駐した. さらに清朝によるジュンガル平定後の1764年に盛京のシベ族の一部が現新疆ウイグル自治区のイリに移されて駐防兵となった.

この集団は1954年にイリ川南岸に成立したチャプチャル・シベ自治県の礎となり, 現在約1万9000人のシベ族が8集落に分かれて居住し. 農耕生活をしている. シベ族はこの集落のことを, 現在も清朝時代の軍事組織, 八旗の基層単位であるニルと呼ぶ.

絶対的多数派民族がいないイリにおいては, 満洲語の一方言であるシベ語口語をはじめ, 自民族の客観的属性の多くを保持しているのに対し, その他の地域では民族の客観的属性のほとんどを失い, 漢化が進んでいる.
(「中央ユーラシアを知る事典」(平凡社 2005)より(筆者:楠木賢道) )


by satotak | 2008-03-30 19:59 | 東トルキスタン


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